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いわき市の復興飲食店街「夜明け市場」で飲んできました [被災地訪問]

本日の宿泊地、福島県いわき市にやってきました。
早速飲みに出かけてきました。

復興飲食店街「夜明け市場」。

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ここ、いわき市も津波の被害は甚大で、被災した店が集まった横丁です。
興味深いのは、こういう復興市場は津波被害を受けた場所にプレハブの仮設店舗でやることが多いんだけど、ここは駅のすぐ近く。
地方都市によく見られるシャッター通りを有効活用して、中心街の活性と復興支援のいっぺんにやってしまおうと言う試みです。

何軒もある中で選んだのが、若い大将がやってる焼き鳥屋の「ありがとう」。
中でお客さんが楽しそうに話してるのを見てふらっと入ってしまいました。

お客さんは地元の人ばかり。
福島の方言は独特のイントネーション。
聞いててめっちゃ心地いいです。

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夜明け市場HP 


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帰還困難区域をJR代行バスで通過してきました [被災地訪問]

GWの後半、女川から名古屋に戻る途中で、常磐線の原ノ町駅から竜田駅まで代行バスに乗りました。

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この区間、福島第一原子力発電所事故での帰還困難区域を通るため、鉄路の復旧は未定、代行バスすら走らずに分断されていた区間です。
しかし、今年1月からこの区域内を走る国道6号線のみが一般車の通行が可能になったのを受けて代行バスが走るようになりました。

そこで、今回初めて乗車してきました。

今まで何箇所かの代行バスに乗ってきましたが、この区間が他とは違う点が何点かありました。

添乗員が同乗します
他の区間ではワンマン運行ですが、ここでは添乗員さんが同乗しました。
 
トイレ付きのバス
通常はトイレなしタイプですが、この区間はトイレ付きタイプ。
途中での停車や車外に出ることが一切できない為ですが、発車前に「車内トイレはあくまでも緊急用なので、発車前に駅のトイレを利用するようにとのアナウンスがありました。

車内線量を測定しながらの運行
これも当然他の区間を走る代行バスでは見られません。

発車前に帰還困難区域を通行する旨のアナウンス。
JR東日本のHPでも案内が出ていますが、この区間を1回通行するに当たって受ける被ばく線量は1.2μSv/h。
全く問題のない数値だと僕は思っていますが、念のためのアナウンスなんでしょうね。

JR東日本のHPにも案内が出ていました。 

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車内でのアンケートの実施。
バスが発車してしばらくすると乗務員がアンケートを配りました。
 
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さて、原ノ町駅を出発してすぐにバスは避難指示解除準備区域に入ります。
海岸線まで見渡せる場所では被災家財の撤去も完了していて見渡す限り草原が広がっていました。

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これが原発に近づくにつれて風景が変わってきます。
津波の被害を受けながら放置されたままの建物が目立ってきました。

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更に国道が内陸部へ向かうと、建物自体の被害は見受けられないけど、人の気配が全くない状態に。

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帰還困難地域に入ると国道から脇に入る道路はバリケードで封鎖され、大きな交差点ではマスクをした警官や警備員の姿が。

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パトカーの往来も多くなってきました。
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道沿いにはあちこちにここが帰還困難区域であることを示す看板も。
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あちこちに中間貯蔵施設が。
貯蔵施設といっても、フレコンが野積みになっているだけのようにしか見えません。

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やがて送電線の向こうに白い鉄塔が見えてきました。
福島第一原子力発電所です。
ここは国道が原発の一番近くを通る地点で、その距離2.5キロ。
ここまではっきりと見えるとは思っていませんでした。

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車中は結構がやがやとしていたのですが、原発を越えた辺りで車内に突然、
「ピッ、ピッ、ピッ…」という線量計の音が。
何とも言えない緊張感が走り、車内が静まり返りました。

バスは1時間程で竜田駅に到着。

バスを降りるときに乗務員席に設置されていた線量計を見ると0.10μSv/hでした。

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人っ子一人いない街、あちこちに設置された広大な中間貯蔵施設を実際に見てきて、復興にはまだまだ厳しい道のりが待っているんだと実感しました。
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おのくんの生まれ故郷へ [被災地訪問]

皆さんは、おのくんを知っていますか?

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おのくんHPより 

 

おのくんとは・・・

 

(以下、Wikipediaから一部抜粋)
おのくんは、宮城県東松島市の「小野駅前応急仮設住宅」の主婦らがひとつずつ手縫いで作っている人形。

東日本大震災からの復興への願いがこめられている。「めんどくしぇ」が合い言葉。

作りであるため同じ靴下でも同じように完成せず、世界でひとつのおのくんとなる。

購入者は「里親」となり我が子のように可愛がる。

購入したおのくんを「おのくんハウス」に連れて行くことを「里帰り」という。

信販売も行っているが、あくまでも「東松島へ来てほしい」という思いから小野仮設での直接購入を優先としているため、通販の場合は現在約半年待ちである。

(抜粋おわり)

 

ウォーキングのゴールは陸前小野駅。

予想以上に歩いたのと、荷物が重かったのでヘロヘロになりつつも、「陸前小野駅、陸前小野、小野・・・ おのくん!」

思い出してしまったのです。

東松島市の小野と言えばおのくんの生まれ故郷じゃないですか!

すぐにスマホで調べてみると、歩いている道からすぐ近く。

寄り道してみました。

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仮設にこもりがちだったお母さんたちの交流の場にもなってる「おのくんハウス」

人でも多くの人に東松島市に来てほしいというお母さんたちの想いがいっぱい詰まったおのくん。

最近、おのくんそっくりの人形を通販で販売する業者が現れたらしく、腹立たしい思いをしてました。

人気でなかなか手に入らないらしいけど、直接行ったらもしかしたら今日 里親になれるかも・・・

と淡い期待を抱いておのくんハウスへ。

ハウスの中では何人かがおのくんを制作中。

ただ、たまたまお客さんが来ていてバタバタしていたので、今日は里親になるのは諦めて、外から覗くだけにしました。

いつの日かまた来ます。

 


仙石線全線運転再開を前に不通区間を歩いてみた (野蒜駅~陸前小野駅) [被災地訪問]

2015年5月1日(金) 11:20~13:15

 

最後の区間です。

野蒜駅のコンビニで朝食を買って、しっかり休憩はしたのですが、 やはりGW1週間分の荷物を背負って歩いてきたので疲れが取れません。

しばらくは旧線路に並行して歩いていきます。

水道管か下水道管でしょうか?

本来は地下に埋められている管が地上に設置されています。

まだまだ仮復旧。

津波の被害を受けた地域を歩くとよく見る光景です。

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こちらは津波で地面がえぐり取られて出てきてしまったのでしょうか…

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山の中を走ってきた新線が旧線に合流する地点が見えてきました。

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旧線。

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旧線が高架へと上って行った跡。

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試運転の電車がひっきりなしに行ったり来たりしています。

いよいよなんだなぁって実感できますね。

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新線

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また試運転の電車が通過していきます。

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新線と旧線の合流地点。

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ここからしばらく線路を離れます。

川を渡る橋が上流まで行かないとないからです。

くたくただったので、この距離が辛かった…

振り返るとまた試運転の電車が。

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川を渡るとゴールの陸前小野駅はもうすぐです。

ここでおのくんの事を思い出して寄り道。

その時の様子はこちら

 

駅の直前で、線路のすぐ脇まで近寄ることができました。

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また試運転の電車♪  

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13:15 陸前小野駅に到着。

線路を歩いたら10.5キロのところを約23キロ、7時間かけて歩きました。  

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石巻行きの列車を待っていると、ホームに試運転の電車が入ってきました。

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初めて代行バスに乗って車窓から被災した集落や駅を見た時から、一度じっくりと不通区間を歩いてみたいと思っていました。

今回、運転再開の直前になりましたが、やっと歩くことができました。

実際に歩いて、あちこち見て回って、復興までの道のりはまだまだな厳しい現実があることを実感しましたが、少しずつでも前に進んでいることも実感できました。

今度、ここを通るときは復活した仙石線の電車で通過することになると思います。

その時車窓から外を見て、ここも歩いた、あそこも歩いたと今まで以上にこの地域のことを身近に感じれると思います。 

 

野蒜駅→陸前小野駅の歩いたルート

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仙石線全線運転再開を前に不通区間を歩いてみた (東名駅~野蒜駅) [被災地訪問]

2015年5月1日(金) 9:50~11:20

東名駅→野蒜駅

この区間は線路沿いに家が点在しています。

しかし、震災後のままの家がまだまだ多数残されていました。

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山の方には新線が見えます。

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旧線の線路はこの区間も撤去済。

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元踏切(線路撤去済)

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元踏切(線路が残っている)

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野蒜駅が見えてきました。

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実は、この野蒜駅は2013年の年末にも訪れていました。

その時の様子を紹介しているのがこちらです。 

野蒜駅の今 2013/12/30 

 

当時は手つかずのままの状態だったこの駅が改修されてきれいになっていました。

そして、新しいコンビニがオープンしていました。 

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駅舎の隣にあったコンビニは残念ながら復活することができずに更地になっていました。

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駅舎の半分はコンビニ、半分は野蒜地域交流センターになっていて、市民が集える場所になっていました。

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現在、震災の被害を伝えるパネル展が行われていました。

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鉄道ファンとして被災した車両の写真を見るのは辛かったです。

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ホームの崩れた架線は撤去されていました。

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この野蒜駅は山側に新駅が作られて、旧野蒜駅は駅舎としての役割は終えましたが、壁には「野蒜駅」の表示が残されていました。

建物の改修工事の時に撤去されてもおかしくなかったのですが、JR東日本の配慮でしょうか。

嬉しいですね。 

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そして、コンビニには地域の方がひっきりなしに訪れていて、この場所が地域の方が集える場所に生まれ変わったことが実感できてそれも嬉しかったです。

コンビニでごはんを買って遅めの朝食。

かなり疲れていたので、交流センターでゆっくり休みました。 

 

野蒜駅の新駅も見に行ってみました。

旧野蒜駅から10分ほど山に向かって歩いていくと、新野蒜駅が見えてきました。



こちらも駅に向かう道路はまだ工事中で、駅には近づけなかったのですが、ちょうど試運転車両が駅に入ってきたところでした。

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電車が走り去った後、ホームには「野蒜」の駅名標が見えました。

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今度は復活後に改めて新駅を訪れたいと思いました。

 


仙石線全線運転再開を前に不通区間を歩いてみた (陸前大塚駅~東名駅) [被災地訪問]

2015年5月1日(金) 8:10~9:50

陸前大塚駅→東名駅

仙石線は一部区間を内陸部に移して運転を再開します。

今日スタートした高城町駅から陸前大塚駅までは震災前と同じルートを走ってきた仙石線も、ここ陸前大塚駅を越えてすぐに新ルートに進みます。

かつてのルートとの分岐点を見に行きたかったけど、立ち入り禁止になっていて見れませんでした。

このすぐ先なんですけど…

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新ルートへと進んだ線路は高架で少しずつ高さを増していきます。

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高架の周辺はかさ上げ工事も行われていて、近寄ることができません。

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旧ルートは高架よりも向こう、海沿いで写真正面の山の右側へカーブしていました。

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新ルートはやがて山の中へと消えていきます。

新たに山を削って作ったルートなので当然道はなく、線路に近づくこともできません。

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陸前大塚方面を望む

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これ以上、新ルート沿いを進むのは不可能なので、旧ルートになるべく近い道を進むことにします。

 

東名の集落が見えてきました。

ここは津波で大きな被害が出ました。

震災後、松島海岸駅から代行バスに乗ると、最初に多くの家屋が被災しているのを車窓から目の当たりにするのが、ここ東名集落でした。

石巻市は震災直後から多くのボランティアを受け入れて、街にはボランティアがたくさんいました。

僕も石巻にボランティアに行くときによくこの代行バスを利用していました。

しかし、車窓から見える東名にはボランティアの姿はほとんどなく、復旧のスピードも明らかに石巻とは違っていました。

通るたびに気になっていた集落です。

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仮設の階段があったので、そこを降りて集落へ入ることにしました。

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避難誘導階段でした。

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海から離れた場所では新しい家も増えてきていますが、まだまだ空き地も目立ちます。

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しかし海の方へと歩いていくと、景色が一変します。

歪んだままの橋の欄干、被災したままの家、見渡す限りの更地… 

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仙石線に戻ります。

線路も踏切も撤去されていました。

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9:15 旧東名駅に到着。

駅舎は既に撤去されてしまっていましたが、置いてあった枕木や電柱がかつてここに鉄道の駅があったことを物語っていました。

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旧駅を見たら、新駅も見たくなるのが人情。

正直疲れていたけど、山の方へと向かいました。

途中まで かつての線路の跡地に沿って進みました。

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そして、10分程住宅地の中を進んでいくと新線が見えてきました。

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9:50 新東名駅(の近く)に到着。

道路の工事中でこれ以上近づくことができませんでした。

ここからは線路は見えても駅は見えません。

ガードマンの方に伺ったところ、新駅はちょうど左の山の影にあるそうです。

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散歩途中の地元の方もガードマンに色々と聞いていました。

地元の方にとっても仙石線の開通は楽しみなんでしょうね。 


タグ:仙石線 東名
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仙石線全線運転再開を前に不通区間を歩いてみた (手樽駅~陸前大塚駅) [被災地訪問]

2015年5月1日(金) 6:50~8:10

 手樽駅→陸前富山駅 

手樽駅を出発してしばらくは線路沿いの道。

バラスト敷石が真新しいですね。

しかし、線路がトンネルに入ると…

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道路は山道。

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山を越えた頃、濃い朝もやも晴れて幻想的な風景になってきました。

奥に線路が見えます。

不通区間も既に試運転が行われています。

この景色の中を通過する電車を見たかったのですが、まだ時間も早く電車の姿を見ることはできませんでした。 

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途中、何台もの代行バスに抜かされました。

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7:20 陸前富山駅に到着

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この駅も前の駅と同じ場所にあります。

目の前が海。

新しい堤防も出来ていました。

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駅のホームも待合室も階段も踏切も全てできたてのピカピカの状態。

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沿岸部は震災で多くの場所が地盤沈下しました。

線路もかさ上げされていることがわかります。

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陸前富山駅→陸前大塚駅 

先に進みます。

また峠越え。

今度は舗装すらされていません。。。

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海沿いを走る線路は遥か向こう。

近づく道もありません。

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やっと道路が海に近づき、線路のそばにきました。

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工事用の車両? 何をする車両なんでしょうか?

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菜の花畑と線路。

ここを走る電車が見たかったけど、やはり時間が早すぎて試運転列車はまだ走っていません。

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線路と松島の海。

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真っ直ぐに伸びる線路。

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8:00 陸前大塚駅に到着。

駅の周辺には漁具がいっぱい。

ホタテの貝殻は、牡蠣養殖で牡蠣の稚貝をつけるものです。

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この駅も陸前富山駅と同じく、すべてが新しくピカピカでした。

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ここまでで全工程の約半分。

まだ半分残っています。

しかし、距離は大したことがなくても、大きなリュックを背負って休みなしで歩いてきたので、肩が限界。

少し休むことにしました。

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できたばっかりの待合室での休憩。

やっぱり新しい駅舎は気持ちがいいものです。 

でも、全てが新しいということは、全て流されてしまったって事だよね…と思ったとき、悲しい気持ちになりました。

 

手樽駅→陸前富山駅の歩いたルートです。

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陸前富山駅→陸前大塚駅のルート 

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仙石線全線運転再開を前に不通区間を歩いてみた (高城町駅~手樽駅) [被災地訪問]

2015年5月1日(金) 6:10~6:50

高城町駅を出発。

これから仙台方面へと折り返す電車がホームに停車中。

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小高い住宅街の中にあった避難所の案内板。
イラストが妙にリアルです。 

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真新しい避難所。
きちんと備えてますね。


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この住宅街、新しい家が多くありました。
高台移転で新しくできた住宅街なんでしょうか?
同じ造りの家も何軒も。
(下半分が黒の家)

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災害公営住宅なんでしょうか。
詳しくはわかりませんが、今後調べてみたいと思います。

手樽駅着。
まだ中には入れませんでした。 

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ホームも待合室も震災前のものをそのまま使っているような感じです。

 

歩き始めて気が付いたのですが、思っていた以上に線路沿いに道がありません。

更に線路がトンネルで山に入っても道は山を越えていくルートだったり… 

なるべく線路の近くを歩こうと思うとものすごい距離を歩くことになります。

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スタートの高城町駅から隣の手樽駅までに実際に歩いたルート(赤線)。

不通区間は線路をまっすぐ歩くと10.5kmですが、この調子で歩いていくと何km歩く事になるんだろう…と不安になりましたが、スタートしてしまったから先に進むしかない。

がんばります。 


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仙石線全線運転再開を前に不通区間を歩いてみた (スタート地点 高木町駅) [被災地訪問]

2015年5月1日(金) 4:45~6:10

今年のGWも東北。
女川長期滞在です。

夜行バスで仙台までやって来ました。 

4:45 仙台駅前に到着。

ここから石巻まで仙石線で移動します

この仙石線、震災で被害を受けて高城町駅~陸前小野駅の10.5kmがいまだに不通ですが、今月の30日に一部区間を内陸部に移動して全線での運転を再開する予定です。

次に東北に来る時には仙石線は復活しているので、今回は今まで何度も代行バスで通ったこの区間を歩いて見て回ることにしました。

 

仙台駅を始発で出発。

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現時点での終点、高城町駅へ。

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代行バスは一つ手前の松島海岸駅が乗換駅なので、実はこの駅に来るのは初めて。

高城町駅の駅名標。

隣の駅が消されています。
いよいよ今月の30日からこの駅より先も電車が走ります。 

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 高城町駅の駅舎

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陸前小野駅目指してウォーキングスタートです。 


タグ:仙石線
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野蒜駅の今 2013/12/30 [被災地訪問]

2013年12月30日(月) 

前日に女川に宿泊して、朝に閖上の行方不明者の捜索に車で向かう途中に野蒜駅に立ち寄りました。 

震災直後から代行バスで何度も駅前を通過していましたが、一度じっくり見てみたいと思ったからです。

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現在も仙台と石巻を結ぶ仙石線は高城町から陸前小野駅の間で鉄道の運転は再開されておらず、代行バスが運行されています。

この野蒜駅の前にも代行バスのバス停が設置されています。 

車を停めてホームに向かってみました。 

ホームの架線は崩れ落ち、ホームにも亀裂が入っていました。

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駅名標は津波で歪んでいました。

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あの日のままのポスターは色あせていました。

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仙石線は一部区間を内陸に移し運転を再開する予定です。

野蒜駅も内陸部に新しい駅ができます。

もうここに電車が走ることはありません。

駅以外の線路は既に撤去されていました。

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駅舎の方へ。

ホームから見た駅舎。

天板が崩れ落ちてしまっているのがわかります。

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壁には津波到達点を示すプレートが掲げられていて、津波が1階の天井まで到達したことがわかります。

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危険なので駅舎の中には入れないようになっていましたが、隙間から中を見てみました。 

 内部は津波に流され、天井にも津波の痕跡が…

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駅舎の隣にあったコンビニも甚大な被害を受けて閉鎖されていました。

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この駅は、もう駅として使われることはありません。

ここがどうなっていくのか、今後も気にしていきたいと思います。 
 


タグ:野蒜駅
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ホット横丁石巻閉店に思うこと 2011/12/29 [被災地訪問]

女川に遊びに来たこの日に石巻市大街道にタコ焼きチェーンの「銀だこ」が中心となって展開していた屋台村「ホット横丁石巻」が営業を終了しました。

被災地支援として本社を石巻市に移していた銀だこ本社も東京へ移転されることになりました。
この閉店、移転を受けてネットでは「所詮はよそ者。最後は被災地を見捨てるんだ」といった意見も見受けられましたが、僕は違った想いを持ってます。

「ホット横丁石巻」がある大街道は僕が震災後初めてボランティア活動をした場所です。
2011年4月のことです。
津波の被害を受けたこの場所はまだ道路にもヘドロが乾いた状態で積もっており、風が吹くたびに土埃が舞う状態で、営業を再開できている店もほとんどありませんでした。

同年8月14日、再びこの地を訪れました。
道路はだいぶ綺麗になっており、土埃も舞わなくなっていました。
営業を再開した店もちらほら出てきてましたが、まだほとんどがチェーン展開している店だけでした。
通りを歩く人もまばらな状態の中、多くの人で賑わっている場所がありました。
それが6日前にグランドオープンしたばかりの「ホット横丁石巻」でした。

早速中に入ってオープンテラスで1杯飲みながら周りを見ていると、多くの親子連れが来ていました。
カラオケ店からは楽しそうな歌声が。
どこにでもあるような小さな横丁だけど、津波の被害を受けたこの場所に、思い入れのある大街道に人々が集う場所ができたことが嬉しくて、涙が出そうになったことを今でも覚えています。







 
そして今回、何度目かの大街道訪問。
偶然にもこの日がこの横丁最後の日でした。
まだ早朝で横丁はオープンしていなかったので、しばらく付近を散策しました。 
表通りだけでなく、住宅街の中にも個人経営の店が何店も出来ていました。
新築の家も建ち始めていて、少しずつだけど前進している様子を実感できました。

それから女川へ。
日中は女川を満喫して、最後の横丁を楽しもうと夕方に石巻に戻ってきました。
ところが、最終日ということで閉店時間が普段よりも早められたみたいで、到着した時には既に営業を終了していました。



周囲の店の復活と共に横丁への客足も遠のき、去年の秋からは週末のみの営業になっていたそうです。
それでも、震災の年の8月にどこよりも早く人々が集える場所を提供してくれたという事実は忘れてはいけないと思います。
一つの役割が終わったということ。

「今までありがとう」

その想いを胸にこの場所を離れました。


ある家族の笑顔 ~南三陸町~ [被災地訪問]

2012年8月14日(火)

 

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南三陸町志津川に立ち寄った時のこと。

港の近くに車を止めて少し辺りを歩いてみた。

この辺りは鉄筋のビル以外は津波に流されて基礎だけになってしまって

いる。

歩いていると、ある民家跡地の前で笑顔でピースをしながら写真を撮って

いる若い娘が目に飛び込んできた。

家族で来ている連中だった。

被災地で被災された方々の気持ちも考えずに記念撮影をする連中がいると

いうことを話には聞いていたが、目の前で見るのは初めてだった。

体中の血液が逆流するような怒りが込み上げてきた。

鬼の形相でこの家族をにらみつけながら通過しようとしたときに母親が

「家族みんなで写真を撮りたいから」


とカメラを差し出してきた。



何かきつい一言でも投げかけて断ってやろうと思った瞬間…



「家族みんなで我が家の前で写真を撮りたいから」



言葉を失ってその場で固まってしまった。

そんな僕をよそに家族はかつての門の前で整列していった。

娘さん、お兄さん、お母さん、お父さん、そしておばあさん。

みんな満面の笑顔だった。

 

今日まで数えきれないほどの涙を流してきたことだろう。

僕が想像もできない程の困難を乗り越えてきたことだろう。

そんな家族が今僕の目の前で笑顔でこっちを見ている…

カメラのファインダー越しに彼らの笑顔を見ながら溢れてくる涙を

こらえるのに必死だった。



 

これからも東北に通おう…と改めて心に誓った。


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瓦礫処理の現場 ~仙台市の場合~ [被災地訪問]

2012年4月28日(土) 
 
今年もゴールデンウィークには東北です。

ボランティアでお世話になる団体の活動日の関係で今日1日が空いたので、レンタカーを借りて以前から気になっていた現場を見に行ってきました。

普段の仕事が下水汚泥の燃焼炉の開発をしている関係で、被災地の瓦礫の焼却処理の現場がどうなっているのか気になってました。

そこで、3か所の仮設焼却炉を設置して3年で全ての災害廃棄物の焼却処理を目指す仙台市の現場に行ってきました。

仙台市で発生した瓦礫は約135万トン。
これを市内3か所に設けられた搬入所で10種類以上に細分化を行い、できるだけ資源化します。
最終的に焼却処分されるのが26万5千トン。
これを搬入所に造られた仮設焼却炉で焼却処分します。

仙台駅からまっすぐ海の方へ15分ほど。
仙台市の蒲生地区に到着。
 
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仙台市の被災地に行くのは初めて。
今まで行った場所と違って広い平野が広がっていて、見渡す限り更地になっていました。
被災地は場所が違えば被害の状況も違っていて、何度訪れても言葉を失います。

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道路標識が折れ曲がっていました。
あの高さまで津波が来たということなんですよね…
 
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蒲生の搬入場入口。

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関係者以外は中には入れないので、可能な限り近くの道を探しながら進みます。
今でも災害廃棄物が搬入されていて重機で分別が行われていました。

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蒲生の仮設焼却炉が見えてきました。
JFEエンジニアリング製のキルン式焼却炉。
去年の10月1日から稼働して1日90トンの廃棄物を焼却します。

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これから焼却処分されると思われる木材が山積みになっていました。
これって元家とかなんですよね…


さらにすぐ近くに荒浜の仮設焼却炉。
川崎重工業製のキルン式焼却炉。
去年の12月1日に稼働。
3基の仮設焼却炉の中では最も処理能力が高く、1日300トン。

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隣接した地区で焼却炉が24時間フル稼働している様子は圧巻です。

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ここで大失敗。

事前に仙台市の仮設焼却炉の事を少しだけ下調べしていったんですけど、外観写真などは確認してなかったので、蒲生の搬入場の近くにある鉄塔(上の写真の一番左)を焼却炉と勘違い。
(実際は民間会社の工場。)

そこから蒲生仮設焼却炉を荒浜焼却炉、荒浜焼却炉を井土仮設焼却炉と勘違いして、井土仮設焼却炉を見ないで帰ってきてしまいました。
ある程度の下調べは必要ですね…[m:78]

実際の廃棄物の処理現場を見てきて感じたこと。
徹底した分別が大事。
最初の手間はかかるけど、分別することで焼却処分する廃棄物の量を減らせて最終的には処分時間の短縮につながると思います。

仙台市の災害廃棄物の処理は順調に進んでいると感じました。

ただし、これは政令指定都市で財源もあって、さらに仮設の焼却炉を設置する広い場所もあった好条件の自治体の話。
多くの自治体は処理能力の小さな処分所しか持たず、女川町のように災害廃棄物を置く場所の確保すら困難なのが実情。

災害廃棄物の問題は今後も気にしていこうかなと思ってます。


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女川原子力発電所を初めて訪れて感じたこと [被災地訪問]



東北地方は今まで何度も何度も津波に襲われてその度に甚大な被害を受けてきました。
多くの犠牲を払って得た教訓は、東北各地にある石碑や言い伝えという形で現在まで引き継がれてきました。

2つの対照的な原子力発電所があります。
東京電力の福島第一原子力発電所と東北電力の女川原子力発電所です。

福島第一原子力発電所の地震と津波の対策について、平安時代に発生した津波の規模を考慮するのかどうか議論されましたが、考慮すべきという声はわずかでした。
想定された津波の高さは最大で5.6m。

一方の東北電力の女川原子力発電所。
想定した津波の高さは9.1m。
実際に建てられたのは14.8mの高さでした。

この津波の想定高さの違いは過去から引き継がれた経験の差なのかもしれません。

そしてこの津波の想定の違いが二つの原発の明暗を分けました。
福島第一原子力発電所が多くの住民を故郷から引き離したのとは対照的に、津波の被害を免れた女川原子力発電所は壊滅的被害を受けた女川町民の避難所となり、300名を超える町民が身を寄せました。


科学技術の進歩とは常に新しいことへ挑戦することであるが故に、過去の教訓を軽視しがちですが、先人から受け継がれた経験に科学技術の粋を集めた原子力発電所が守られた事実。
女川原子力発電所を目の前にして、

「お前達の文明のあり方は今のままでいいのか?」

そう問いかけられているような気がしてなりませんでした。





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