仙石線全線運転再開を前に不通区間を歩いてみた (野蒜駅~陸前小野駅) [被災地訪問]
2015年5月1日(金) 11:20~13:15
最後の区間です。
野蒜駅のコンビニで朝食を買って、しっかり休憩はしたのですが、 やはりGW1週間分の荷物を背負って歩いてきたので疲れが取れません。
しばらくは旧線路に並行して歩いていきます。
水道管か下水道管でしょうか?
本来は地下に埋められている管が地上に設置されています。
まだまだ仮復旧。
津波の被害を受けた地域を歩くとよく見る光景です。
こちらは津波で地面がえぐり取られて出てきてしまったのでしょうか…
山の中を走ってきた新線が旧線に合流する地点が見えてきました。
旧線。
旧線が高架へと上って行った跡。
試運転の電車がひっきりなしに行ったり来たりしています。
いよいよなんだなぁって実感できますね。
新線
また試運転の電車が通過していきます。
新線と旧線の合流地点。
ここからしばらく線路を離れます。
川を渡る橋が上流まで行かないとないからです。
くたくただったので、この距離が辛かった…
振り返るとまた試運転の電車が。
川を渡るとゴールの陸前小野駅はもうすぐです。
ここでおのくんの事を思い出して寄り道。
その時の様子はこちら。
駅の直前で、線路のすぐ脇まで近寄ることができました。
また試運転の電車♪
13:15 陸前小野駅に到着。
線路を歩いたら10.5キロのところを約23キロ、7時間かけて歩きました。
石巻行きの列車を待っていると、ホームに試運転の電車が入ってきました。
初めて代行バスに乗って車窓から被災した集落や駅を見た時から、一度じっくりと不通区間を歩いてみたいと思っていました。
今回、運転再開の直前になりましたが、やっと歩くことができました。
実際に歩いて、あちこち見て回って、復興までの道のりはまだまだな厳しい現実があることを実感しましたが、少しずつでも前に進んでいることも実感できました。
今度、ここを通るときは復活した仙石線の電車で通過することになると思います。
その時車窓から外を見て、ここも歩いた、あそこも歩いたと今まで以上にこの地域のことを身近に感じれると思います。
野蒜駅→陸前小野駅の歩いたルート
仙石線全線運転再開を前に不通区間を歩いてみた (東名駅~野蒜駅) [被災地訪問]
2015年5月1日(金) 9:50~11:20
東名駅→野蒜駅
この区間は線路沿いに家が点在しています。
しかし、震災後のままの家がまだまだ多数残されていました。
山の方には新線が見えます。
旧線の線路はこの区間も撤去済。
元踏切(線路撤去済)
元踏切(線路が残っている)
野蒜駅が見えてきました。
実は、この野蒜駅は2013年の年末にも訪れていました。
その時の様子を紹介しているのがこちらです。
当時は手つかずのままの状態だったこの駅が改修されてきれいになっていました。
そして、新しいコンビニがオープンしていました。
駅舎の隣にあったコンビニは残念ながら復活することができずに更地になっていました。
駅舎の半分はコンビニ、半分は野蒜地域交流センターになっていて、市民が集える場所になっていました。
現在、震災の被害を伝えるパネル展が行われていました。
鉄道ファンとして被災した車両の写真を見るのは辛かったです。
ホームの崩れた架線は撤去されていました。
この野蒜駅は山側に新駅が作られて、旧野蒜駅は駅舎としての役割は終えましたが、壁には「野蒜駅」の表示が残されていました。
建物の改修工事の時に撤去されてもおかしくなかったのですが、JR東日本の配慮でしょうか。
嬉しいですね。
そして、コンビニには地域の方がひっきりなしに訪れていて、この場所が地域の方が集える場所に生まれ変わったことが実感できてそれも嬉しかったです。
コンビニでごはんを買って遅めの朝食。
かなり疲れていたので、交流センターでゆっくり休みました。
野蒜駅の新駅も見に行ってみました。
旧野蒜駅から10分ほど山に向かって歩いていくと、新野蒜駅が見えてきました。
こちらも駅に向かう道路はまだ工事中で、駅には近づけなかったのですが、ちょうど試運転車両が駅に入ってきたところでした。
電車が走り去った後、ホームには「野蒜」の駅名標が見えました。
今度は復活後に改めて新駅を訪れたいと思いました。
仙石線全線運転再開を前に不通区間を歩いてみた (陸前大塚駅~東名駅) [被災地訪問]
2015年5月1日(金) 8:10~9:50
陸前大塚駅→東名駅
仙石線は一部区間を内陸部に移して運転を再開します。
今日スタートした高城町駅から陸前大塚駅までは震災前と同じルートを走ってきた仙石線も、ここ陸前大塚駅を越えてすぐに新ルートに進みます。
かつてのルートとの分岐点を見に行きたかったけど、立ち入り禁止になっていて見れませんでした。
このすぐ先なんですけど…
新ルートへと進んだ線路は高架で少しずつ高さを増していきます。
高架の周辺はかさ上げ工事も行われていて、近寄ることができません。
旧ルートは高架よりも向こう、海沿いで写真正面の山の右側へカーブしていました。
新ルートはやがて山の中へと消えていきます。
新たに山を削って作ったルートなので当然道はなく、線路に近づくこともできません。
陸前大塚方面を望む
これ以上、新ルート沿いを進むのは不可能なので、旧ルートになるべく近い道を進むことにします。
東名の集落が見えてきました。
ここは津波で大きな被害が出ました。
震災後、松島海岸駅から代行バスに乗ると、最初に多くの家屋が被災しているのを車窓から目の当たりにするのが、ここ東名集落でした。
石巻市は震災直後から多くのボランティアを受け入れて、街にはボランティアがたくさんいました。
僕も石巻にボランティアに行くときによくこの代行バスを利用していました。
しかし、車窓から見える東名にはボランティアの姿はほとんどなく、復旧のスピードも明らかに石巻とは違っていました。
通るたびに気になっていた集落です。
仮設の階段があったので、そこを降りて集落へ入ることにしました。
避難誘導階段でした。
海から離れた場所では新しい家も増えてきていますが、まだまだ空き地も目立ちます。
しかし海の方へと歩いていくと、景色が一変します。
歪んだままの橋の欄干、被災したままの家、見渡す限りの更地…
仙石線に戻ります。
線路も踏切も撤去されていました。
9:15 旧東名駅に到着。
駅舎は既に撤去されてしまっていましたが、置いてあった枕木や電柱がかつてここに鉄道の駅があったことを物語っていました。
旧駅を見たら、新駅も見たくなるのが人情。
正直疲れていたけど、山の方へと向かいました。
途中まで かつての線路の跡地に沿って進みました。
そして、10分程住宅地の中を進んでいくと新線が見えてきました。
9:50 新東名駅(の近く)に到着。
道路の工事中でこれ以上近づくことができませんでした。
ここからは線路は見えても駅は見えません。
ガードマンの方に伺ったところ、新駅はちょうど左の山の影にあるそうです。
散歩途中の地元の方もガードマンに色々と聞いていました。
地元の方にとっても仙石線の開通は楽しみなんでしょうね。
仙石線全線運転再開を前に不通区間を歩いてみた (手樽駅~陸前大塚駅) [被災地訪問]
2015年5月1日(金) 6:50~8:10
手樽駅→陸前富山駅
手樽駅を出発してしばらくは線路沿いの道。
バラスト敷石が真新しいですね。
しかし、線路がトンネルに入ると…
道路は山道。
山を越えた頃、濃い朝もやも晴れて幻想的な風景になってきました。
奥に線路が見えます。
不通区間も既に試運転が行われています。
この景色の中を通過する電車を見たかったのですが、まだ時間も早く電車の姿を見ることはできませんでした。
途中、何台もの代行バスに抜かされました。
7:20 陸前富山駅に到着
この駅も前の駅と同じ場所にあります。
目の前が海。
新しい堤防も出来ていました。
駅のホームも待合室も階段も踏切も全てできたてのピカピカの状態。
沿岸部は震災で多くの場所が地盤沈下しました。
線路もかさ上げされていることがわかります。
陸前富山駅→陸前大塚駅
先に進みます。
また峠越え。
今度は舗装すらされていません。。。
海沿いを走る線路は遥か向こう。
近づく道もありません。
やっと道路が海に近づき、線路のそばにきました。
工事用の車両? 何をする車両なんでしょうか?
菜の花畑と線路。
ここを走る電車が見たかったけど、やはり時間が早すぎて試運転列車はまだ走っていません。
線路と松島の海。
真っ直ぐに伸びる線路。
8:00 陸前大塚駅に到着。
駅の周辺には漁具がいっぱい。
ホタテの貝殻は、牡蠣養殖で牡蠣の稚貝をつけるものです。
この駅も陸前富山駅と同じく、すべてが新しくピカピカでした。
ここまでで全工程の約半分。
まだ半分残っています。
しかし、距離は大したことがなくても、大きなリュックを背負って休みなしで歩いてきたので、肩が限界。
少し休むことにしました。
できたばっかりの待合室での休憩。
やっぱり新しい駅舎は気持ちがいいものです。
でも、全てが新しいということは、全て流されてしまったって事だよね…と思ったとき、悲しい気持ちになりました。
手樽駅→陸前富山駅の歩いたルートです。
陸前富山駅→陸前大塚駅のルート
仙石線全線運転再開を前に不通区間を歩いてみた (高城町駅~手樽駅) [被災地訪問]
2015年5月1日(金) 6:10~6:50
高城町駅を出発。
これから仙台方面へと折り返す電車がホームに停車中。
小高い住宅街の中にあった避難所の案内板。
イラストが妙にリアルです。
真新しい避難所。
きちんと備えてますね。
この住宅街、新しい家が多くありました。
高台移転で新しくできた住宅街なんでしょうか?
同じ造りの家も何軒も。
(下半分が黒の家)
災害公営住宅なんでしょうか。
詳しくはわかりませんが、今後調べてみたいと思います。
手樽駅着。
まだ中には入れませんでした。
ホームも待合室も震災前のものをそのまま使っているような感じです。
歩き始めて気が付いたのですが、思っていた以上に線路沿いに道がありません。
更に線路がトンネルで山に入っても道は山を越えていくルートだったり…
なるべく線路の近くを歩こうと思うとものすごい距離を歩くことになります。
スタートの高城町駅から隣の手樽駅までに実際に歩いたルート(赤線)。
不通区間は線路をまっすぐ歩くと10.5kmですが、この調子で歩いていくと何km歩く事になるんだろう…と不安になりましたが、スタートしてしまったから先に進むしかない。
がんばります。
仙石線全線運転再開を前に不通区間を歩いてみた (スタート地点 高木町駅) [被災地訪問]
2015年5月1日(金) 4:45~6:10
今年のGWも東北。
女川長期滞在です。
夜行バスで仙台までやって来ました。
4:45 仙台駅前に到着。
ここから石巻まで仙石線で移動します。
この仙石線、震災で被害を受けて高城町駅~陸前小野駅の10.5kmがいまだに不通ですが、今月の30日に一部区間を内陸部に移動して全線での運転を再開する予定です。
次に東北に来る時には仙石線は復活しているので、今回は今まで何度も代行バスで通ったこの区間を歩いて見て回ることにしました。
仙台駅を始発で出発。
現時点での終点、高城町駅へ。
高城町駅の駅名標。
隣の駅が消されています。
いよいよ今月の30日からこの駅より先も電車が走ります。
高城町駅の駅舎
陸前小野駅目指してウォーキングスタートです。
女川病治療に浜松へ [女川]
2014年3月22日(土)
浜松に行ってきました。
目的は、女川から帰ってきた直後にいつも悪化する女川欠乏症の治療の為でした。
浜松駅前にある遠鉄百貨店8階で開催中の「全国うまいもの博」。
実はここに女川の蒲鉾屋の「高政」さんが出店してるんです。
関東地方では女川関連のイベントがしょっちゅうやってて、関東在住の女川仲間が「参加してきたよー」とFacebookなどに書いてあるのを見て羨ましく思っていました。
東海地方はなかなかないんですよね…
催事場へ。
他の売り場には目もくれずに、高政さんのブースに直行。
ブースに到着するなり店の人に「女川が大好きで何度も行ってるよ。先週の復幸祭にも行ったよ。復幸男も走ったよ。さんまも焼いたよ。高政さんにもいつも行くよ。新商品のチーズ入りのものが美味しかったー。ぶちあげたまねぎ大好き」と機関銃のごとく話しかけ、5月の女川訪問時の再会の約束までしてきました(^^)
美味しい蒲鉾もいっぱい購入。
全力で逃げてきました 【女川復幸男2014】 [女川]
名古屋で宮城グルメ三昧 2014/01/18 [被災地支援]
名古屋駅の名鉄百貨店で行われている「宮城県の観光と物産展」に今年も行ってきました。
会場に流れるBGMは宮城県の復興ソング、「虹を架けよう」
まず向かったのが女川の「マルキチ阿部商店」さん。
ここの魚を昆布で巻いた「リアスの詩(うた)」が本当に美味しいんですよ。
今まで秋刀魚しか食べたことがなかったので、今回は鮭とアナゴ。
マルキチ阿部商店のすが子かぁちゃんから伝言。
「火曜日まで店頭に立ってるからみんな遊びにきてねぇ」
3月の女川町商店街復幸祭に行くことを伝えると、とても喜んでくれて(息子さんが祭の実行委員長をしています)、おまけをいっぱいくれましたヽ(´▽`)/
ありがとー
また3月に女川で再会しましょうね。
マルキチ阿部商店HP
続いて「ずんだ茶寮」さんのずんだシェーク。
これは仙台に行ったら駅の店で必ず飲むぐらい美味しい。
名古屋で飲めるなんて幸せ。
ずんだ茶寮HP
お次は「らーめん工房網地島屋」さんへ。
去年「雲丹味噌ラーメン」を「うんたんみそらーめん」と注文して恥をかいた店です(笑)
今年は「こってり醤油ラーメン」にしました。
大好きな背脂ちゃっちゃ系。
再び女川の店へ。
水産加工の「いかや」さん。
商品を見ていたら、買い物袋に入ったマルキチ阿部商店さんの商品を見て「女川の商品ばっかりだね」と話しかけてきてくれました。
僕:「女川が大好きですから!」(きっぱり!)
すると女将さんが「これ食べて。あれも食べて」と試食できるものは全部食べさせてくれましたヽ(´▽`)/
さすが女川の人は豪快です。
こちらではさんまの丸干しとみりん干し、めかぶとろろ、いか塩辛、さんま佃煮を購入。
おまけにわかめをいただきました。
このわかめ、年末年始にボランティアをした十三浜産でした。
いやぁ、これは嬉しい!
いかやさんを紹介したHP「アスネットみやぎ」
美味しいものを食べて、女川の人ともいっぱい話をして大満足で会場をあとにしました。
当分の間、我が家の食卓は女川の食材が並びます(^^)
名鉄百貨店の「宮城県の観光と物産展」は今度の火曜日まで。
是非宮城の味を楽しみに遊びに行ってみてください。
で、帰ってきて会場でもらったパンフレットを見ていて、大失態発覚。
今年から新規出店していた女川の魚屋「岡清(おかせい)」さんを見落としていました(>_<)
これはまた明日行かないといかんなぁ…
【2014/1/19追記】
早速、本日は女川の食材がいっぱいの昼食になりました。
いかやさんのさんまの丸干しとめかぶとろろ。
さんまの丸干しは干してあるので焼く前は少しひなびた感じでしたが、焼いていくうちに中から脂がどんどん出てきてホクホクになりました。
そして、マルキチ阿部商店さんのさんま佃煮。
そのまま食べても美味しいけど、今回は茶漬けに。
絶品です!
そして夕方に再び名鉄百貨店に行ってきました。
岡清さんのブースへ直行。
帆立のオリーブオイルを買ってきました。
写真にもあるように、これを茹でたパスタに絡めるだけで、美味しい帆立パスタができます。
楽しみです。
岡清さんの商品はこちらから購入できます。
野蒜駅の今 2013/12/30 [被災地訪問]
2013年12月30日(月)
前日に女川に宿泊して、朝に閖上の行方不明者の捜索に車で向かう途中に野蒜駅に立ち寄りました。
震災直後から代行バスで何度も駅前を通過していましたが、一度じっくり見てみたいと思ったからです。
現在も仙台と石巻を結ぶ仙石線は高城町から陸前小野駅の間で鉄道の運転は再開されておらず、代行バスが運行されています。
この野蒜駅の前にも代行バスのバス停が設置されています。
車を停めてホームに向かってみました。
ホームの架線は崩れ落ち、ホームにも亀裂が入っていました。
駅名標は津波で歪んでいました。
あの日のままのポスターは色あせていました。
仙石線は一部区間を内陸に移し運転を再開する予定です。
野蒜駅も内陸部に新しい駅ができます。
もうここに電車が走ることはありません。
駅以外の線路は既に撤去されていました。
駅舎の方へ。
ホームから見た駅舎。
天板が崩れ落ちてしまっているのがわかります。
壁には津波到達点を示すプレートが掲げられていて、津波が1階の天井まで到達したことがわかります。
危険なので駅舎の中には入れないようになっていましたが、隙間から中を見てみました。
内部は津波に流され、天井にも津波の痕跡が…
駅舎の隣にあったコンビニも甚大な被害を受けて閉鎖されていました。
この駅は、もう駅として使われることはありません。
ここがどうなっていくのか、今後も気にしていきたいと思います。
女川徘徊その3 2013年12月29日 [女川]
女川徘徊その2のつづき
正直スナックは好きじゃないです。
でも、スナックしか営業してなく、せっかく宿から長時間歩いてきたのにこのまま帰るのは嫌だったので入ってみました。
入ってみると中はお年寄りだけで満席。
演歌大会状態になってました。
一瞬「しまった!…」と思ったけど、入ってしまったのでカウンター席で一人飲み始めました。
しばらく飲みながら周りの人に話を伺うと、皆さんほとんどが仮設住宅住まいとのことでした。
女川でお会いする人はみんなパワフルですごく前向きな方ばかりなので、いつも忘れがちになるんだけど、ここ女川は巨大な津波に襲われて、街の8割の建物が流され、人口の1割近い方々がお亡くなりになったり行方不明になった場所なんです。
震災後も道路が寸断されて陸の孤島となって救援物資が中々届かなかったり、平地が少ないために避難所が人で溢れかえったり、僕が想像もできないような困難を乗り越えてきた方々なんですよね。
そして、女川だけではなく各地の仮設住宅で問題になっているのは、それまでのコミニティーが破壊されて孤立する人が増えてきていること。
特にお年寄りは出歩くことが少なく、時が経てば経つほど孤独死などの問題が深刻化しています。
楽しいことばかりではないのは重々わかっているけど、この瞬間は楽しそうに歌っているお年寄りの皆さんの姿を見て、飲みに来てよかったなと思いました。
で、話はここで終わりません。
カウンター席からは厨房が見渡せて、飲みながらふと業務用冷蔵庫を見ると、張り紙が。
そこには手書きで、
このままで
終わるものかと
日々努力
ハッとしました。
涙が出てきました。
女川の人たちは強い。
本当に飲みに来てよかった。
これからも女川通いは続けます。
女川徘徊その2 2013年12月29日 [女川]
女川徘徊その1のつづき
夕食まで時間があるのでカフェタイム。
女川にはカフェも気になる店が何店もあります。
まずは、最近オープンしたばっかりの「owl」さん。
女川にあるボランティア団体の代表の御夫婦がオープンさせたお店で、僕が女川でボランティアをしてきた時はいつもこの団体のお世話になっていたので、是非行きたいと思っていたお店です。
夜は飲み屋、昼はカフェとして営業しています。
が! 店まで行ったら閉まってました(-_-;)
ドアの張り紙を見たら、昼の部は前日の28日から年末年始のお休みに入ってました。
夜の部は30日までは営業ということだったので、また夜に来ることに。
次は「カフェRIOS」さん。
こちらは女川でいち早く営業を始められたお洒落なコンテナカフェ。
めかぶペペロンチーノなど、女川の食材を使った軽食も食べられます。
今まで女川を訪れる度に足を運んできたけど、何故かいつも閉まっていて一度も入れたことがないお店です。
今度こそ… と行ってみると、今回もお休みでした(涙)
でも、諦めません。
また今度女川に行った時に覗いてみます。
きぼうのかね商店街へ。
こちらに夏にオープンした「cebolla」さんという喫茶店があるんです。
こちらもまだ行ったことがなかったので突撃!
…お休みでした (´;ω;`)
わずかだったけどオープンしている店があったので、「高橋商店」さんでお土産の日本酒「女川 万謝」を購入。
更に肉屋の「八百東商店」さんもオープンしていました。
ここの揚げ物が美味しいとの情報を仕入れていたので、早速購入。
安い! なのに衣はサクサクでうまい!
ラードで揚げてるのかな? 家庭では中々出せない味です。
女川観光協会さんの前の「リアスの戦士イーガー」自販機で缶コーヒーを購入
寒かったので車の中で揚げ物とコーヒーを飲んでカフェタイム終了(汗)
夕方に一旦女川を離れて翌日からのボランティアで使う道具や防寒グッズを買うのと食事をするために石巻へ。
買い物はできたけど、食事をしようと思っていた「ホット横丁石巻」は早い時間で閉店していました。
ということで、再び女川へ。
お酒も入るので宿(エルファロ)に車を置いて、ここからは徒歩移動。
宿からお店があるエリアまでは暗い夜道を40分も歩かないといけないけど、久しぶりに皆に会うのが楽しみで、ワクワクしながら歩いていくと…
owlさん、お休み。
昼に年末年始の休みを確認したはずなのに…
と思ったら、窓にも営業日が書いてありました。
曜日限定のオープンだったのね…
次はいつも飲みに行く「かぐら」さん。
コンテナ村商店街のお店は全てお休みでした。
ここまで歩いて諦めるわけにはいかないので、きぼうのかね商店街へ。
こちらもいつも飲んでる「串焼きたろう」さん。
お休み。 。゚(゚´Д`゚)゚。
こうなったら食事だけでもと、夕方には営業していた食事処「三秀」さんへ。
年末ということで閉店時間が早められていて、既に閉まってました。
旭ヶ丘にある中華の「金華楼」さんも石巻へ行く前に車で前を通ってお休みを確認していたので、「今夜はメシ抜きか?」と思ったとき、三秀さんの2軒隣の焼肉屋「幸楽」さんの店内にお客さんがいるのが見えました。
店の明かりはついていたけど、看板が消えていたので仕込み中だと思っていたけど、これは営業しているかも…と中に入ると、OKでした(*´∀`*)
ここ「幸楽」さんは絶品お肉が食べれる名店として有名なところ。
一度行きたいとずっと思っていたけど、テーブル席しかなく、しかも3卓しかないので、一人でテーブルを占拠すると他のお客さんが入れなくなって迷惑がかかるんじゃないかと思って中々入れなかったお店。
今日は商店街に人影がないので、一人でも大丈夫。
念願の幸楽さんデビューです。
そしてようやく夕食にありつけました。
噂通りお肉は絶品。
値段もお手頃で大満足
ここ女川は海の幸はもちろんのこと、昼に食べた揚げ物やこの焼肉、それ以外にも焼肉飯やから揚げ定食、おそばや中華など美味しい食べ物がいっぱいの街なんです。
ただし、僕を含めて遠方から訪れる人は年末年始、ゴールデンウィーク、お盆休みなどの長期休暇を利用して来る人が多いと思うけど、そういう時期には女川町内の店は休みのことが多いので、要注意です。
大満足のうちに幸楽さんを出ると、看板がついてました(笑)
つけ忘れてたのかな?
お腹が膨れたので、次は飲みといきたいところだけど、行きつけの店や行こうと思っていた店は全てお休み。
きぼうのかね商店街の中で、スナックが1軒だけやってました。
スナックは好きじゃないけど、せっかくここまで歩いてきたんだから…と入ってみると、素敵な出会いが待ってました。
女川徘徊その3へつづく
ホット横丁石巻閉店に思うこと 2011/12/29 [被災地訪問]
女川に遊びに来たこの日に石巻市大街道にタコ焼きチェーンの「銀だこ」が中心となって展開していた屋台村「ホット横丁石巻」が営業を終了しました。
被災地支援として本社を石巻市に移していた銀だこ本社も東京へ移転されることになりました。
この閉店、移転を受けてネットでは「所詮はよそ者。最後は被災地を見捨てるんだ」といった意見も見受けられましたが、僕は違った想いを持ってます。
「ホット横丁石巻」がある大街道は僕が震災後初めてボランティア活動をした場所です。
2011年4月のことです。
津波の被害を受けたこの場所はまだ道路にもヘドロが乾いた状態で積もっており、風が吹くたびに土埃が舞う状態で、営業を再開できている店もほとんどありませんでした。
同年8月14日、再びこの地を訪れました。
道路はだいぶ綺麗になっており、土埃も舞わなくなっていました。
営業を再開した店もちらほら出てきてましたが、まだほとんどがチェーン展開している店だけでした。
通りを歩く人もまばらな状態の中、多くの人で賑わっている場所がありました。
それが6日前にグランドオープンしたばかりの「ホット横丁石巻」でした。
早速中に入ってオープンテラスで1杯飲みながら周りを見ていると、多くの親子連れが来ていました。
カラオケ店からは楽しそうな歌声が。
どこにでもあるような小さな横丁だけど、津波の被害を受けたこの場所に、思い入れのある大街道に人々が集う場所ができたことが嬉しくて、涙が出そうになったことを今でも覚えています。
そして今回、何度目かの大街道訪問。
偶然にもこの日がこの横丁最後の日でした。
まだ早朝で横丁はオープンしていなかったので、しばらく付近を散策しました。
表通りだけでなく、住宅街の中にも個人経営の店が何店も出来ていました。
新築の家も建ち始めていて、少しずつだけど前進している様子を実感できました。
それから女川へ。
日中は女川を満喫して、最後の横丁を楽しもうと夕方に石巻に戻ってきました。
ところが、最終日ということで閉店時間が普段よりも早められたみたいで、到着した時には既に営業を終了していました。
周囲の店の復活と共に横丁への客足も遠のき、去年の秋からは週末のみの営業になっていたそうです。
それでも、震災の年の8月にどこよりも早く人々が集える場所を提供してくれたという事実は忘れてはいけないと思います。
一つの役割が終わったということ。
「今までありがとう」
その想いを胸にこの場所を離れました。
石巻の絶品みかん! 丸賢みかん [グルメ]
2013年12月29日 (日)
東北の石巻でみかん?
実はみかんの一大産地の和歌山県産のみかんなんです。
和歌山県有田川町賢(かしこ)地区で生産されています。
この時期に石巻のスーパーに行ったら、たいてい入口のすぐ近くにどーんと山積みになっています。
石巻と宇都宮にしか出荷されていないらしいです。
理由は知りません(笑)
が、これがうまい!
皮が薄くてむきやすく、そしてとにかく甘い!
石巻を訪れることがあったら、海の幸を楽しみつつ、是非地元のスーパーを覗いてみて丸賢みかんを食べてみてください。
丸賢みかんのHPはこちら
女川徘徊その1 2013年12月29日 [女川]
2013年7月のコンテナ村沖縄祭り以来の久しぶりの女川です。
今回は食べ飲み歩き。
翌日からは別の街でボランティア。
この日は1日女川の海の幸と女川の人たちとの交流を楽しみます。
まずはお魚市場「おかせい」さんへ。
ここは魚屋さんに併設された食堂だけに鮮度は抜群。
そして女川の食堂だけにボリューム満点。
そう、女川は漁師の街。
食堂は何処も豪快なんです。
名物「特選女川丼」。
どうです? このボリューム!
サービスでついてくるあら汁も豪快にカニ1匹!
大満足のうちに「おかせい」さんを後にして、次は女川さいがいFMさんへ。
震災直後から被災地各地に必要な地域の情報を的確に届けるためにミニFM局が設立されました。
ここ女川にも町民の方々が集まって「女川さいがいFM」が作られました。
この「女川さいがいFM」さんはNHKで密着ドキュメンタリー番組が制作されたり、女子高生アナウンサーをモデルにドラマが制作されたりとにかく楽しいFM局。
女川以外の地域でもネット経由でPCやスマホから聴くことができます。
(サイマルラジオ http://www.simulradio.jp/)
プレハブの放送局に到着した時、ちょうど中学生・高校生たちが作る生放送が終了した時で、皆さん勢ぞろいされてました。
そして今回始めてプレハブの中へ入ることができました。
さいじゅさんお久しぶり。
女子高生アナのサキちゃんも3月に1度顔を合わせただけなのに覚えていてくれました。
太悦さんも今回初めての顔合わせなんだけど、今まで何度も番組に投稿していたので、名前を言うとすぐにわかってくれました。
そして「最近投稿サボりやがって」とお叱りを(笑)
「女川さいがいFM」は楽しい番組が満載なので、是非一度聴いてみてください。
詳しい番組情報はHPで。 (http://onagawafm.jp/)
僕も「春風ねこ丸」のラジオネームでたまに投稿しています。
ここまでは、予定通りに事が進んでいました。
この後、タイトル通り「徘徊」することになります。
女川徘徊その2に続く