栃木市ボランティア ありがとう… 2015/9/19(土) [ボランティア]
午後からは男手がほしいとの依頼だったので、野郎5人で市営住宅に行ってきました。
現場は堤防のすぐ前にある平屋の集合住宅。
目の前の川が氾濫して水の跡が僕の首の辺りの高さまでありました。
相当の被害があったことがわかります。
午前中に作業した街の中心部が道路の清掃がほぼ終了していて、パッと見 浸水したことがわからないくらいになっているのとは対照的に、道路には乾いたヘドロが残ったままになっていて車が通ると土埃が舞います。
依頼された方は、この市営住宅に一人で住んでいたご高齢のおばあさんの娘さんでした。
外に運び出してはいるけど水没して開かなくなってしまったタンスの引き出しの中身を確認したい、転倒防止で壁に固定されたタンスを搬出したい、浴槽と風呂釜を搬出したい――この三点が依頼内容でした。
おばあさんのお宅に到着すると、娘さん(と言っても僕よりもずっと年上の方)が一人でゴミ袋を団地入口の集積所へ運んでいる最中でした。
お宅の中を拝見すると、あらかたの家財は既に搬出されていました。
自分達だけでここまでやるのに何日かかったのでしょう。
来る日も来る日も作業されてきたはずです。
どうしても男手が必要な作業だけ依頼されてきたようです。
水に浸かったタンスの引き出しは膨張して手で引っ張っても開けられない状態になっていましたが、中身を確認できたら捨ててしまうから壊れてもいい との事だったので、バールを使って何とかこじ開けることが出来ました。
残りの依頼も男五人でかかればすんなりと終了。
「せっかくなので他に必要なこと、ゴミ出しとかもやりますよ」と言っても、「後は私だけでできますから」と固辞される。
逆にお茶と菓子パンを頂いちゃいました。
一番大変なのは当事者なのに、こんなにも気を使っていただいて・・・
一人で黙々と被災家財を運ぶ姿を見た後だけに余計にご好意がありがたかったです。
本日の作業はこれにて終了。
ボランティアセンターに戻ると道具や長靴を洗うための水、手洗いの水と石鹸、ウガイ薬、冷たい飲み物まで社協の方が用意してくれていました。
僕達が現場で作業できるのもこういった縁の下の力持ちとなってくれる方々の支えがあるからです。
感謝。
最後に、ボランティア活動の流れ。
一人で行っても大丈夫。
現場ではまだまだ人手が不足しています。
行ける方は是非行ってみてください
栃木市ボランティア 午前中 2015/9/19(土) [ボランティア]
前中の作業が終了しました。
街の中心部近くの民家での作業でした。
この辺りは1m近くまで水があがりました。
ドアにうっすらと水の跡が残っていました。
(写真矢印)
水に浸かった家財や畳をひたすら運び出す作業です。
水に浸かった家の中はカビのような独特の匂いがします。
東北の津波のあとのヘドロの匂いとはまた違う匂いです。
東北の時もそうでしたが、ついこの前まで生活の一部だったものをどんどん捨てていくのは心が重たくなります。
でもそれが新たな生活を始める第一歩なので、大人数でバケツリレー方式で運び出していきました。
水を含んだ畳はとにかく重たい。
4人がかりでやっと運び出せる重さ。
それでも人数が多かったので午前中で運び出し終了。
こちらではボランティアの仕事はここまで。
東北の時とは違って床下に潜って泥のかき出し、石灰の散布は業者さんがやるようです。
心配だった腰の調子も大丈夫なので午後からもバリバリやります(^^)
水害ボランティアで栃木市へ 2015/9/19(土) [ボランティア]
9月19日(土)~21日(月)の3連休に19日は台風18号で水害被害を受けた栃木市へ災害ボランティアに、20日はおながわ秋刀魚収獲祭にさんま焼きのボランティアに行くことにしました。
夜行バスで早朝に東京に到着。
東京からは電車を乗り継いで栃木市までやって来ました。
そこからタクシーでボランティアセンターになっている栃木市民会館へ。
車を持っていないので、毎度のことながら移動が大変です。
市内の被害状況
受付を済ませてマッチング。
活動前のミーティング。この後、マッチング(持ち場を決めて班分けする作業)が行われました。
僕は中心街近くの民家の被災家財を運び出す班で活動することになりました。
思えば去年のゴールデンウイークのボランティア活動で腰を痛めて1年4ヶ月ぶりに災害ボランティア復帰です。
発症した時は日常生活もままならない程の激痛で、もう二度と現場で作業はできないと思っていたので感慨深いです。
あっ、災害が発生したのを喜んでいるわけじゃないですよ。
去年の広島の土砂災害などテレビで見ていて、ボランティア仲間が現地に駆けつける様子をネットで見ていて何も出来ない自分が不甲斐なくて仕方がなかったんです。
やっと動けるようになりました。
復帰して最初の現場なので腰の様子を見ながら無理しないように気を付けながら頑張ります!
今日の伊豆大島 [ボランティア]
2013年12月1日(日)
今日の伊豆大島の様子。
前回来たときには自衛隊等が捜索活動をしていて一般人は立ち入ることができなかったエリアに昼休みに行ってきました。
よく災害の被害の痕を“爪痕“と言いますが、山肌にまさに“爪痕“が残っていました。
目の前にあったはずの集落が全て無くなっていて、山津波が一直線に襲ってきたことがわかります。
帰り道、島の名産の椿がきれいに咲いていました。
現地に行くこと ~僕のこだわり~ [ボランティア]
水道もまだ復旧しない中、仮設トイレの外にはポリタンクに水を溜めて消毒液や石鹸も置いてあって、細かい心配りが嬉しかったです。
わずかだけど、買い物もさせてもらいました。
2011GW7日目 最終日 [ボランティア]
2011年5月6日(金)
1週間にわたる石巻市でのボランティアも最終日となりました。
この日のワークは午前中のみ。
昨日に引き続き富士國物産です。
少し早く着きすぎて、会社の人がまだ到着していなかったので、少しの時間付近の様子を見て回りました。
この日のワークも倉庫内の片付け。
ヘドロに加えて、泥をかぶったワカメが腐敗してドロドロになってしまっています。
これらをネコ(一輪車)に積んでは工場外に積まれた廃棄物の山に廃棄する。
ひたすらその繰り返しです。
そしてその中から無事な商品を救い出していきます。
津波をかぶっていても中身が無事な商品は洗浄後、ラベルを貼り直して再び出荷します。
ヘドロと海産物が混じって腐敗した泥は強烈な臭気を発しています。
それらが飛び跳ねて服に付くと臭いがなかなか取れなくなってしまいます。
そのため、長靴、レインコート、防塵マスクの完全防備で作業をするので、作業はかなり過酷です。
熱中症予防のために、休憩はこまめに取ります。
この日も美味しい三陸の海の幸をたくさんいただきました。
従業員のお兄さんも救出した商品を開けて食べさせてくれました。
飲み物は、流された自販機から取り出したもの。
こうして午前中の作業が終了しました。
これで今回の僕の石巻でのワークが終了しました。
しかし、石巻を含め被災地ではまだまだ多くの人手を必要としています。
必ず戻ってこようと心に決めました。
この日も多くのお土産をいただきました。
ありがとうございます。
教会への帰り道。
石巻での最後の昼食
拠点となった教会と幼稚園の清掃も終わりました。
いよいよ終わってしまうんだという寂しさがこみ上げてきました。
石巻栄光教会と付属幼稚園。
お世話になりました。
石巻を離れる前にもう一度日和山からの光景をまぶたに焼き付けておきたかったので、時間をもらって行ってきました。
ついに石巻を離れる時が来ました。
ここでもう一つ最後の仕事ができました。
石巻のセンターを閉鎖するにあたり、現場で活躍した軽ワゴン、ブラボー号を仙台の本部まで運転して持っていくこと。
仙台に向かう前に、石巻に来た初日に見た墓地に立ち寄りました。
墓標もなく、番号札だけがたてられています。
何とも悲しい気持ちになりました。
仙台に向かう道中、 国道沿いにあった看板
ブラボー号、仙台に到着。
2011年GWのボランティア活動はこれで全て終了しました。
GW7日目のフォトアルバムはこちら
女川との出会い [ボランティア]
2011年5月5日(木) 夜
前日ワークで入ったお宅の奥さんが夜にお酒の差し入れをしてくれました。
前日のワークの様子はこちら。
頂いたお酒はいずれも被災したお酒でした。
日高見についてはこちら
ラベルはずれてしまっているけど、中身は問題ないから…
と津波で流されたくじらの大和煮缶詰。
あとアザラシの缶詰も。
アザラシは初めて。
奥さんは石巻の隣の女川という町の出身でした。
皆でお酒をいただきながら、震災当時の話を聞かせてくれました。
道路も寸断されて陸の孤島となった女川にやっとの思いでたどり着いたら町は壊滅状態だったこと。
町の窮状を伝えて、救助ヘリの要請に仙台の県庁まで行ったけど、ヘリの台数が足りず、奪い合いのような状況だったこと…
奥さんが帰られた後も、震災当時の話や、これからの支援のあり方など話は続きました。
【追記】
この晩、奥さんの話を聞くまで女川町という町があることすら知りませんでした。
話を聞いてから女川という町に一度行ってみたいという思いが強くなりました。
そして2011年9月の女川初訪問。
そこから今に至る女川通いが始まりました。
この晩の話がなければ、今でも女川に行ったことがなかったかもしれません。
僕にとっては大事な晩になりました。
「あたりまえ」がどれほどありがたいことか… [ボランティア]
2011年5月5日
毎日 夕食は自炊でした。
この日、自衛隊風呂に入りに行っていた場所の近くのファミレスがオープンしたとの情報が飛び込んできました。
残っているボランティアの人数も少なくなっていたので、「今日は食べに行こうか?」ということになりました。
復活したのは東北ではよく見かける「まるまつ」というファミレス。
まだ周りの店は閉店したままで、あたりは真っ暗。
そんな中、まるまつだけが明るく浮かび上がっていました。
店の中では笑顔で食事をとりながら話をする地元の人たち。
その姿を見て涙が出てきました。
僕が住んでいる名古屋では震災の後も コンビニもファミレスも当たり前のように営業していて、そこに行くことも当たり前だと思っていました。
ファミレスに行くという当たり前の事がどれほどありがたいことなのか…
改めて気がつかされました。
久しぶりの外食、おいしゅうございました。
2011GW 6日目その3 日常にある死 [ボランティア]
2011年5月5日(木)
午後のワークに出かける前に教会で昼食。
食事の前のお祈り
僕は無神論者だけど、いつも感謝の気持ちを忘れないことは素敵なことだと思います。
午後のワークは渡波という地区の水産加工場です。
現場に向かう途中で津波被害を受けて操業を停止している巨大な製紙工場の前を通りました。
大きな煙突にロープが張られて、こいのぼりが泳いでいました。
街の人に「共に頑張ろう!」と言っているようで、胸が熱くなりました。
絶対負けない石巻!!
でも、現実は…
2か月経ってもまだこんな状態。
旧北上川河口に架かる日和大橋から見た湊地区。
県道には水産加工会社の巨大な看板が横たわっていました。
今回ワークするのは富士國物産という海産物(主に海藻)の卸販売、加工販売、小売り販売を行っている水産加工会社の倉庫です。
海から数百mとうい距離だったため、津波をもろに受けて大きな被害が出てしまいました。
社長さんが色々な話を聞かせてくれました。
三陸の海産物のすばらしさを熱く語って、津波の被害を免れた商品をひっぱり出してきては食べさせてくれました。
そして話は震災の事に。
出荷間際の商品も機械も冷蔵庫も水没してしまって一瞬で億単位の負債を背負ってしまった。
津波を免れたり水没したけど、真空パックの商品で汚れを落とせば大丈夫なものの出荷を再開したけど、漁が行われていないので在庫分を出荷してしまったらおしまい。
漁が再開されても加工機械が水没してしまったので加工ができない。
海から近い地域が居住禁止になったら廃業するしかない。
先行きが全く見えない中でも、出来ることをひとつひとつやっていくしかない。
奥さんからも話を聞けました。
車で避難しようとしていたら、あっという間に波が押し寄せてきた。
車から脱出した後は塀づたいに逃げて2階の窓が開いていたお宅に逃げ込んだこと。
水が引いた後はいたるところに遺体があった。
電柱に引っかかってぶら下がってる遺体もあった。
僕たちと一緒に作業をした10代の従業員も「作業中に遺体が見つかったけど、足元にいたのに最初は気が付かなかった。」
奥さんの「普通は殺人事件で1人が殺されても大騒ぎ。ここでは2万人が亡くなったり行方不明。すごいことがここでは起こっているんだよ」という言葉が印象的でした。
今日の作業は男性陣はぐちゃぐちゃになった倉庫の整理。
女性陣は水に漬かったけどまだ大丈夫な商品の洗浄、ラベル貼り。
作業を始める前に社長から注意が。
周りの建物の配置の関係で、ここは津波の時に周りの物が吸い寄せられるように集まってきたそうです。
車も3台。
人も流されてきている可能性が高いから気をつけるように…とのこと。
作業中に瓦礫の下から出ている長靴が見つかった時は、現場の空気が凍りつきました
幸い靴だけだったけど。
死というものがすぐ近くにある。
まともに考えたら気がおかしくなるような環境で、先行きが全く見えない中で頑張ってる被災者の方々。
微力であってもお手伝いしたほんの数時間分でも楽をしていただけたら…そんな想いで作業を開始。
数時間後…
入口周りがだいぶすっきりしました。
この日の作業はこれにて終了。
社長さんにお土産をいっぱい貰っちゃいました
教会に戻る車中から。
南浜地区です。
教会に戻ると、裏の高校のプールサイドが消毒用の石灰がまかれて真っ白になっていました。
GW6日目のフォトアルバムはこちら
【2015/5/22追記】
この日ワークさせていただいた富士國物産のホームページです。
富士國物産さんは2011年8月に営業を再開されました。
こちらのショップから美味しい三陸の海産物を購入することができます。
僕もお土産にいただいた品々を名古屋に戻ってから食べましたが、本当においしかったです。
会社概要のページでは被災当時の写真も見ることができます。
2011GW 6日目その2 ばあちゃん。。。 [ボランティア]
2011年5月5日(木)
午前中のワークは湊という集落にある個人のお宅です。
石巻市の中心街と湊地区を結ぶ旧北上川にかかる内海橋。
津波で流されたものが激しくぶつかったため、欄干はぐねぐねに曲がっており、道路の舗装もところどころはがれて波打ってしまってます。
旧北上川のすぐ近く、川をさかのぼってきた津波で1階部分は水没した地域。
僕はこのお宅でのワークは初めてだったけど、今までに別の班が何度もワークを行ってきたようで、家具やヘドロは運び出された状態でした。
こちらは老夫婦が2人で住んでますが、おばあさんは足が悪くベットがないと生活が出来ないので、今は施設に避難しているそうです。
今日の僕の仕事は床の掃除の最後の仕上げ。
砂を取り除いてビニールシートを敷いてベットを入れれるようにすること。
ベットが入れば、おばあさんは住み慣れた自宅に帰ってこれるようになります。
ただし、与えられた時間は午前中の数時間のみ。
午後からは別の場所からワークの要請があってそちらに行くことが決まってます。
石巻の教会のボランティアセンター自体が8日で閉鎖されることになっているので、このお宅でのワークはこれで最後。
とにかく時間との勝負。
黙々と雑巾拭き。
これは現地で作業して初めて気が付いた事なのですが、津波の被害に遭った床はヘドロを取り除いてから表面の汚れを拭きとったら綺麗になって完了というわけにはいかないんです。
水圧で細かい砂が木の奥にまで入り込んでしまっているので、拭いても拭いても砂が出てくるんです。
水の力は恐ろしい。
津波に襲われたらひとたまりもないという事を床掃除でも実感できました。
時間だけがどんどん過ぎていきます。
「ばぁちゃん、絶対に家に帰れるようにするから…」
自宅の掃除もまともにしない僕が人生で一番真剣に拭き掃除をしたかもしれません。
何度か拭いて水をまいて砂を浮かせてまた拭きとる。
その繰り返し。
そこまでやっても砂を完全に取り除くことはできませんでしたが、家の方に「ここまできれいになってたらブルーシートが敷ける」と言ってもらえてほっと一安心。
別のスタッフは爺ちゃんと庭の物置小屋の解体作業をやっていました。
70歳を超えた爺ちゃんですが、元大工だけあって、スタッフにも道具の使い方なんかをアドバイスしながら生き生きと作業されていました。
小屋の解体などは重機を入れて解体して運び出せば一瞬で終わってしまう作業です。
でもそこは実際に生活があった場所。
一瞬で全てを壊してしまっては気持ちの整理がつかないんですよね。
効率が悪いかもしれないけど、少人数で一軒一軒回って作業する意味がそこに有ると思うんです。
ゆっくりだけど、話をしながら胸の内にため込んでしまったつらい思いを吐き出してもらいながら一緒に作業をしていく。
被災者の方々に寄り添いながら…
僕たちがお世話になってるセンターで何度も強調されたことです。
庭からかき出して山積みされたままのヘドロの土嚢袋への詰め替え、家の前の側溝のヘドロのかき出し、他の部屋の床掃除等々…
やり残したことはまだありましたが、この家での作業はこれで終了となりました。
「いっぱい汗かいただろ?シャワーでも浴びていくか? 昨日使えるようになったんだよ(笑)」
(昨日、うちの別の班のメンバーが風呂場で作業して使えるようにしてたんです)
「夏の花火大会、家からは奇麗に見えるから遊びにおいで」
何日も作業して信頼関係がしっかりできてました。
午前中の作業を終えて教会に戻る途中、石ノ森漫画館の前でイベントが行われていて沢山の人が集まってました。
まだ周りは瓦礫だらけなのに…復興に向けた強い決意が感じられて胸が熱くなりました。
GW6日目のフォトアルバムはこちら
2011GW 6日目その1 朝の出来事 [ボランティア]
2011年5月5日 (木)
早いもので僕が石巻へ来てから6日目。
石巻でワークができるのもあと2日のみとなりました。
正直ずっと休みなしでワークをしてきたから全身筋肉痛だけど、休むなら名古屋に帰ってから休めばいい。残りの期間、全力でワークします。朝、町内に有線放送が流れました。
市役所の職員を名乗る者が戸別訪問をして義援金を騙し取っているので注意を呼び掛けるものでした。
実際に被害に遭われた方がみえたんでしょう。
石巻はGWということもあって大勢のボランティアが街にあふれてます。
電気が復旧してない地域では土埃が舞う中で警察の方がマスクをしながら1日中交通整理をしています。
いたるところ自衛隊の特殊車両が走りまわり、ヘリが低空を飛びまわってます。
大勢の人がこの街を一刻も早く復興させようと頑張ってるんです。
何よりも被災された方々は先が全く見えない中でも歯を食いしばって頑張ってるんです。
この街に来てこの現状を目の当たりにしてなお、己の私服を肥やすことしか考えられない人間がいる。
それも被災された方をだまして。
心の底から怒りが沸き起こってきました。
一方、この日の朝、数日間ボランティアに来ていた高校生が地元に帰って行きました。
この街にやってきた日は移動の疲れもあったとは思うけど、市内をバスで移動中、津波の被害を受けた街の様子を見ないで大半が寝てたそうです。
ワークも無気力というか…あいつら何しに来たんだ?ってな感じでした。
それが、最後の方は進んで作業するようになっていたし、最後の最後に日和山に市内の様子を見に行った時には涙を流していたそうです。
みんなこの街から色んなものをもらって成長して帰って行くんですね。
この日は色んな事があって長くなるので分けて書きます。
その2につづく。
GW6日目のフォトアルバムはこちら
2011GW 5日目 男のロマン [ボランティア]
2011年5月4日(水)
今日も朝に大学生・高校生が合流して大人数なので、4班に分かれてワークです。
避難所へ届ける物資を積み込む高校生たち。
昨日まで僕たちが作業していたアパートへと向かう高校生たち。
僕はリーダーとボランティア3人の計4人で教会近くの民家でワークをすることになりました。
今日の作業は床上浸水してしまった家で、床下に敷き詰めていた炭袋の搬出・清掃、床下に溜まったヘドロのかき出し、消毒用の石灰まきです。
がんがん作業を進めないと1日で終了しない現場だということで、リーダーが黙々と作業を進めるタイプの僕たち3人を選んだそうです。
床下にもぐるために防護服でばっちり決めた2人。
リーダー曰く「最強の3人。もうボランティアじゃなくって完全に業者や(笑)」
いざ床下へ。
コンクリートの基礎に開けられた入口は入るのがやっとの狭さ。奥に進むには、こんな入口を何箇所もくぐらないといけないんです。
中も腹ばいで進まないといけないぐらいの狭さ。
方向転換をするスペースもないので頭から入ったら足から出てこないといけません。
真っ暗なのでヘッドライトの明かりだけが頼りです。
想像以上の閉塞感。
「もしここで余震がきたら…」なんていらんことを考えてしまって、過呼吸になりそうになるくらい精神的にしんどかったです。
そこで作業中はずっと鼻歌を歌って気を紛らわせていました。
だいぶ苦労したけど、午前中に炭袋の搬出はほぼ終了。
これだけの隅袋を床下を這いずり回って運び出しました。
既にヘロヘロな ねこ丸
ここで午前中の作業は終了。
教会が近いので、お昼は教会に戻っていただきます。
防護服姿のまま自転車に乗るメンバー(笑)
すれ違う人はギョッとしていたけど、何人かに「その服どこで売ってるの?」って聞かれました。
みんな床下のヘドロの処理に頭を悩ませているんでしょうね。
午後の作業開始。
搬出した炭袋は高圧洗浄機で表面のヘドロを落として、それを水に浸して塩抜きをしてから天日干しをします。
家の人も総出で一緒に作業しました。
床下組は再び床下にもぐってヘドロのかき出しと消毒の石灰まきです。
ここのヘドロは完全に乾いていました。
この辺りのヘドロは海岸近くの大きな製紙工場を襲った津波が運んできたものなので紙の繊維質を含んだヘドロで、乾くとペリペリとはがすことができるんです。
狭い床下での作業だったのでこれは助かりました。
ゴリゴリ作業をして夕方までには無事に全ての作業を終了しました。
リーダー曰く「今日の現場は男のロマンがあった」だそうです(笑)
どうです?この達成感にあふれる顔
教会に帰る時に家の方に「是非また石巻に来てね、今度は遊びで。」と言われたのが嬉しかったです。
今度来た時に石巻はどこまで復興できているのか楽しみです。
自衛隊風呂に入った後、夕食の前に営業を再開したスーパーに買い出し行きました。
まだ余震が頻発しているので、お酒のコーナーはひもで商品を押さえて陳列していました。
今日もボランティアの3人が帰って行ってしまいました。
残ったのはスタッフ4人とボランティア3人になってしまいました。
食事も少人数。
ちょっと寂しいですが、このメンバーで最後までがんばります。
この日のフォトアルバムはこちら
震災復興酒 希望の光 [ボランティア]
教会の関係者の方が日本酒を差し入れてくれました。
石巻にある日高見という酒蔵のお酒です。
「震災復興酒 希望の光」と名付けられたこのお酒、被災したお酒です。
一升瓶に貼られたラベルの内容が良かったので紹介します。
このお酒は、平成23年3月11日(金)の東日本大震災によって被災したお酒です。
純米酒を中心に大吟醸や純米吟醸など、発酵中のお酒が被害に遭いました。
震災直後、仕込み蔵は地震の揺れの激しさから、発酵中の醪(お酒)がタンクから溢れ、床一面、白い絨毯を敷き詰めたのかと、錯覚するような情景でした。
溢れ出た醪は霧状になり辺り一面に立ち込め、蔵の奥が良く見通せない状況で、目の前の光景を疑いました。
そして、溢れ出た醪が発生している音なのか、今までに聞いた事の無いような音が蔵内にこだまし、まるで醪の悲鳴のようにも聞こえ、何とも言えない恐怖感を覚えました。
建物のいたるところが壊れ、立ち入ることが困難になり、同時にライフラインが寸断し、発酵中のお酒の管理が出来なくなってしまいました。
何の手だても出来ず、ただ、呆然と指をくわえて見守る日々が続きました。
一週間が過ぎても復旧の目処が立たず、発酵中の醪の全廃を覚悟しました。
しかし、震災から二週間目、電気など一部ライフラインの復旧などが重なり、諦め掛けていた醪を、遂にお酒として甦えらせる日がやって参りました。
ただ、放置している時間が余りにも長く、垂れ口から搾り出されるお酒の品質がとても心配でした。
しかし、我々の心配をよそに、そのお酒はとても力強く生命力に溢れ、我々に勇気と希望を与えてくれました。
本来の酒造りでは、如何に良い酒を造ろうかと凌ぎを削りますが、このお酒からは普段の酒造りでは味わえない感動を貰いました。
蔵の有る宮城県石巻市はこの度の震災で、壊滅的な被害を受けました。
勿論、弊社も甚大な被害を受けました。
しかし、被災した石巻市の惨状を見た時に、弊社は本当に生かされたのだと、強く感じるほか有りませんでした。
普段の生活では感じ得ない、感謝の気持ちを強く痛感させられ、造り酒屋として何か地域に貢献する事は出来ないか、自然と、その様な気持ちが芽生えて参りました。
そして、この気持ちを大事にしたいと考えるようになり、この被災したお酒を震災復興酒として販売し、少ない金額になりますが、売上金の一部を義援金として、私達の住む石巻市に献金したいと考えております。
また、我々が励まされた、このお酒を通して、御愛飲頂く全ての方々に希望の光をお送りする事が出来れば幸いに思います。
2011GW 4日目 再び時を刻むために [ボランティア]
2011年5月3日(火)
長いなぁと思っていた石巻滞在も今日で半分以上が過ぎてしまいます。
早すぎる。
昨日から震災直後に立ち上がった当センター史上最多の人数(ボランティア12人、スタッフ3人)になって朝からにぎやか。
今日は更に高校生・大学生が加わり総勢40人超になりました。
ただし、彼らは日中のワークは一緒だけど、宿泊は別。
市内の大学にテントを張るんだって。
人数が多いので何箇所かに分かれてワーク。
僕は昨日までと同じアパートです。
東北の方ってよその人に対しての警戒心が強いらしいです。
教会にボランティアセンターができても初めはなかなか依頼が来なかったそうです。
今回僕たちが作業しているアパートの一室に今回お世話になってる幼稚園の園児が住んでいて、最初はその園児のご両親から依頼を受けて作業をしたそうです。
そして、その作業の様子を見ていたアパートのオーナーが他の部屋もと依頼されてきたそうです。
地道な活動で地元との信頼関係を築いていった例ですね。
アパートの住人はみんな避難所へ避難されていて誰ともお会いしてなかったので、作業をしながらその部屋に住んでみえた方の安否が気になってました。
今日の作業開始前にオーナーとお話しをする機会があったので住民の方の安否を確認したところ、2階の方が1名 避難する途中に津波に飲み込まれてお亡くなりになったそうですが、僕たちが作業している1階の方は全員無事とのことでした。
オーナーが住人に了解を得ているとはいえ、そこに住んでみえた方々に会うこともなく、土足でかつての生活の場に上がりこみ、ひたすら部屋の中の物を捨てていることに罪悪感のようなものも感じていました。
すると偶然にも僕たちが作業してる時に、その部屋のご主人が部屋の様子を見に戻って来られたんです。
外に運び出されて山積みされた荷物を見てご主人の表情が一瞬こわばりました。
だけど「これは捨てられないよね」とよけていた結婚式でのウェルカムボードやデジカメ、写真を見せると笑顔が。
その時はご主人はすぐに帰られたんですが、その後お子さんを連れて再び戻ってこられました。
お子さんが僕たちの姿を見るなり
「ありがとうございます!」
疲れが吹き飛んだ瞬間でした。
外に捨てられたおもちゃを見つけて、「僕 いつもあれで遊んでたんだ」
その後姿を見ながら 心の中のもやもやはなくなっていました。
あの子が1日でも早く、自分の家で生活できるようにすることが今僕たちがやるべきこと。
とにかくがんばるしかないんだと。
途中から大学生4人も加わって作業のペースも一気にあがりました。
しんどかった…
でもがんばったよ。
あの日から時を刻むのをやめてしまった時計をみつけました。
再びこの部屋で時が刻めるように。。。
しんどかったけど、充実したワークでした。
作業が終了して撤収。
今回のメンバーはゴールデンウィークを利用して参加した人ばかりだったので、みんなほぼ同時期に石巻にやってきてずっと一緒にいました。
一緒にワークして、食事の準備をして、自衛隊風呂に入って、夜は語り合って、まさに「同じ釜の飯を食った」仲間です。
でも、今日、5人のメンバーが地元へと帰っていきました。
今回のメンバーはスタッフさん曰く「最強のメンバー」だったそうです。
史上最強第8期ボランティアメンバー&スタッフ&牧師さん夫婦の集合写真。
一緒にいたのはわずか数日だったのに、昔からの知り合いのような感じでした。
住んでる場所、仕事、性格はバラバラだったけど、「被災地の為に何かしたい」という想いが共通だったからここまで仲良くなれたんでしょうね。
また第2の故郷となった石巻でお会いしましょう。
この日のフォトアルバムはこちら
2011GW 3日目 1歩1歩 [ボランティア]
2011年5月2日(月)
今日はいい天気。
でも風がむっちゃ強い。
今日は1日、昨日と同じアパートでのワークです。
荷物は前日にあらかた搬出が完了したので、今日はひたすらヘドロのかき出し作業です。
水分をたっぷり含んだヘドロはとにかく重たい。
かなりの重労働です。
そしてヘドロは臭い。
マスクがないと厳しい作業です。
更には強風で土埃が吹きつけて、全身ヘドロまるけ。
手を洗う水も現場では確保できないので、ポリタンクに入れた水を持って行ってます。
休憩時間に飴を食べるのも、水を節約するために一人だけが手を洗って、みんなに食べさせて回るのでなかなか大変です。
それでも午前中に1棟目を終了させることができました。
このアパートでは後日業者さんが入って床板や壁を張り替えるリフォームを行うので、僕たちボランティアが行うのは部屋の荷物とヘドロを運び出してすぐに工事に取り掛かれる状態にするところまでです。
基本的に部屋の中の物は全部捨ててしまうけど、写真や思い出の品は住民の方が戻って来られた時の為に1箇所にまとめておきました。
家族の写真や子供が書いた絵…
見てると涙が出てきます。
そんな中でも休憩時間を楽しく過ごせるようにと、がれきの山から椅子と机を見つけてきて即席休憩所を作ってみました。
お昼。
部屋の中はヘドロの臭いがきつ過ぎるので食事は外で。
暴風警報が発令されていて土埃が舞い上がっていたから食べるのが大変。
そんな中、マイペース3人組は自分たちで作った休憩スペースでご満悦
ここのアパートは4棟あるので、まだまだゴールは先。
午後もひたすら作業。
2棟目の途中でこの日の作業は終了。
大人数で取り掛かっても1部屋の作業を終了させるだけでもかなりの時間がかかってしまってます。
アパートの周辺に目をやると、見渡す限り津波被害を受けた家、家、家…
「本当にこの作業に終わりはあるんだろうか…」
と脱力感・無力感に襲われることもあります。
でも、1軒1軒こつこつやっていくしかない。
明日もがんばります。
作業の後、教会に戻っても、翌日炊き出しに出かける部隊がいるので夜中までカレー造りをしました。
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